綺麗な人だなぁ、、

朝の電車でその女性を最初に見た時、そう思った。

彼女は毎朝、同じ駅、同じ車両から乗り込んで来て、ドアに一番近い席に座る。電車に揺られながら、水色のカバーがかかった本を読み、3駅先のところで降りていく。
スーツを着て、重そうな鞄を持っているから、社会人だろうか。
長い黒髪の目鼻立ちがしっかりした彼女を毎朝何気なく目で探すようになってから、半年が経つ。


僕は小さい頃から声優になりたかった。
声優になるために、高校時代は家から少し遠い夜間の養成所に通っていた。
バイト、学校、養成所を行き来する毎日だったが、夢を追いかけているんだと思うと一切辛いと感じなかった。
オーディションだって何十回も受けた。何度落ちてもめげずに頑張った。
しかし仕事が貰えることは1度もなかった。

この状況を見かねた親は「そんな一握りしかなれないようなものをいつまでも夢見ているのか。そろそろ現実を見て、普通に地元で就職するのか、それとも大学に行くのかどちらか考えなさい。」と言ってきた。
ここまで頑張ってきたのに、諦めるなんてまっぴらだ、そう思った僕は親の制止を振り切って、高校卒業と同時に上京してきた。
どこか違う場所に行けば何かが変わるかもしれない、安直な考えだったが、今のこの現状を変えなければ自分は埋もれていくだけだと、そう思った。


東京の養成所に慣れ始めたある日の朝、彼女を初めて見かけた。
細身のスーツの女性が電車のドアが閉まる直前に、ヒールを鳴らしながら駆け込んできた。
僕はふと目をやると、彼女は僕の斜め前の、ドアに一番近いところに座った。
かなり走ったのだろうか、顔が赤い。
薄化粧の目鼻立ちがしっかりした彼女は、腕につけていたゴムで長い黒髪を一つに結って、顔をパタパタと仰いだ。
僕はその一連の動作を吸い込まれるようにじっと見つめていた。
(綺麗な人だなぁ、、、)
そう思って見ていると、彼女と目が合ってしまい、ふと我に返った僕は恥ずかしくなり、慌てて目をそらした。


その日から僕はなんとなく彼女が気になりだした。
綺麗な人だからというのもあるが、彼女が纏う雰囲気が僕を惹き付けた。
養成所までの長い乗車時間で、3駅だけ乗車して降りていく、その背中を人知れず見送るのが僕の日課になった。





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相変わらずオーディションには落ち続けていたが、(数打っちゃ当たる戦法ではないが)ガヤ役やチョイ役など、少しずつ仕事が貰えるようになってきた。
まだ数えるほどしかこなしていないが、少し前のことを考えると、大進歩である。
しかしそれ以上の役が受かることはなく、毎日歯痒い思いをしていた。
毎回、次こそ絶対と意気込んで望むが、なかなか上手くいかない。
既に深夜アニメで主役をもらっている同期のメンバーもいるというのに。
そんな時に、朝電車で彼女を見かけると、彼女が社会人としてバリバリ働いている姿が目に浮かび、自分がすごくちっぽけに感じた。


夏が本格手に近づいてきた6月のある日、養成所からの帰りの電車内、(ここはいつも彼女が降りる駅だな、、、)なんて呆けていると、なんと会社帰りの彼女が乗ってきた。
帰りの電車で会えるとは微塵も予想していなかった僕は、彼女を1日で2回も見れたことに心の中で小躍りした。
朝見た時とは違って、ワイシャツにスーツスカートといった涼しげな格好である。
いつもと違う格好を見ただけで、今日はいいものが見れたなと思ってしまう自分は単純である。
彼女はいつもの場所に座ろうとしたが、今日は既にお婆さんが座っていた。
彼女はあたりを見回して、他に席がないか探した。
それなりに混んでいる車内なので、空席は少し離れたところに一つと、僕の左隣の二つのみだった。
当然、彼女は近い方、つまり僕の隣に座る。横目で座る彼女を見る。
座った時に、鼻をくすぐるようないい匂いを感じた。
僕はその匂いにドギドキしてしまい、どこに目線をやっていいか分からず、ぎゅっと膝に置いた自分の握りこぶしを見つめていた。
隣の男の人が自分に緊張していることもつゆ知らず、彼女は鞄からいつものように本を取り出す。
僕は彼女がどんな本を読んでいるのか気になり、横目でページの上に書いてあるタイトルを見た。
堅苦しい新書やビジネスの本を読んでるのかと思ったら、自分が先月読んだ本だった。(これ…!僕も読んだやつだ…まさか同じやつ読んでたなんて…)
たまたま同じ本を読んでいたことに1人で感動してしまった。

ーーーーガタンッーーーー

電車の揺れに合わせて、はらり、と彼女の長い黒髪が本の上に落ちる。
耳にかけるようにして髪の毛を払う、その仕草を横で感じるだけで、僕の心は一杯になった。


もうすぐ2駅目…


もうすぐ3駅目…


ホームに電車が入り始めて、速度が落ちる。それに気づいた彼女が小説をカバンにしまい、席を立つ。
ドアに近づく彼女の背中を少し名残惜しい気持ちで見ながら、自分が取り残されてしまう様な気持ちになる。
(なんか…僕はいろいろ情けないな…)
ドアが開き、電車を降りた彼女が人混みに押される。すると彼女が


一瞬こちらを振り向いて、


僕を見た。



(えっ…)



一瞬だったので、もしかしたら見間違いかもしれない。でもその瞬間、僕の中でずっと燻っていた何かが弾けた。

僕は何も考えず、電車を飛び出し、人混みに押されながら、彼女を探した。

(なんでもいい、彼女に話しかけなきゃ、このチャンスを逃したら、僕にもう勇気は…)

ヘタレなのかチャレンジャーなのか、ナンパなんかじゃないけど、とにかく彼女と話がしたい、今しか話すチャンスはないと直感で感じた僕は、改札出口で立っている彼女に近寄った。


(なんて話しかければ、何を言えば、どんな顔でいえば、どうしよう、どうすれば------)

いざ話しかけるとなると、頭が真っ白になってしまう、しかし今勇気を出さないで、いつ勇気を出「「かけるくんーーーーこっちこっち!」」





(……………えっ?)


ふと我に返り、手を振る彼女の先を見ると、背の高い短髪の男性がこちらに向かってくる。そのまま彼女に近づくと、「仕事お疲れ、今日は早かったね」と彼女に話しかけた。

「わざわざ迎えに来なくても大丈夫なのに」

「まあまあ、俺、今日は仕事休みだし、暇だからさ」

「…まあ、ありがとう」

「夕飯作ってあるから、早く帰ろうぜ」




………
………
………
………
………
………
………そうか………







僕はそのまま踵を返し、駅の改札を通った。



End
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